40代から始める、ほんとうに幸せになる婚活

【40代から始める、ほんとうに幸せになる婚活】marriage40.blog.jp 「実は婚活は年齢を重ねた方が有利である!」という持論の元、パートナー探しに関するあらゆるノウハウを書いたブログです。 読者対象は結婚相手(または恋人)を探している40歳以上の方々。中高年のための“あんまり頑張らない婚活”を応援しています。 [毎週、月曜の朝7時に更新しています]

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婚活中のお付き合いで、「こういうことはあんまりやらない方がいいのでは……」と私が思っていることがいくつかあります。今回はそれを紹介しましょう。

相手のことを好きになってしまったら、相手に色々なことをしてあげたいと思うもの。しかしポイントを間違ってしまうと、今後のお付き合いや結婚生活に支障をきたす可能性があります。


・必要以上にお金をださない

記念日でもないのにやたらと贈り物をしたり、欲しがってもないのに「これあげる」というのはオススメしません。贈り物をするのが好きな人は異口同音に「プレゼントするのは自分の喜びのため」と言いますが、やはり相手ありきのことですから、“自分の喜びのため”だけではなく、相手への影響も考えておきましょう。

相手の気持ちとして「プレゼントを貰ったらお返しをしなければいけないし、それを考えるのがプレッシャー」という人もいますし、悪気がなくても「欲しいものはこの人が買ってくれる」という認識を無意識のうちに持つようになるかもしれません。

デートの際に食事を奢ってあげるのは構いませんし、ご馳走してもらったお礼にささやかなプレゼントを贈るのもいいでしょう。旅行のお土産なども差し支えありません。しかし、それ以外の過度なプレゼントは、もはや贈り物ではなく、貢ぎ物です。ホストやキャバ嬢などのサービス業の方とのお付き合いとなると別ですが、交際や結婚を目的にしたお付き合いであれば、過度な贈り物はやめておきましょう。

もし相手の方があなたに贈り物をするのが好きなのであれば「プレゼントは記念日(誕生日やクリスマスなど)くらいにしてもらえると助かる」とお伝えして、必要以上はお断りしておきましょう。たとえ贈り物をするのが好きな人であっても、さすがに“無条件”とはいかず、「お返しが貧相だ」とか、あるいは「お返しがない」ということを気にしているケースもあり、男性の場合は「こんなにプレゼントしたんだから性行為があってしかるべき」と思っている方もいるようです。お付き合いのバランスを崩さないためにも、結婚までは“あげもらい”は控えておく方が無難です。


・お金を貸さない

「来月には返すから」「給料日まで借りてていい?」「500円貸して」……と頼まれると、「来月には返してくれるって言うんならいいか」「給料日にはお金が入るんだから貸しても構わない」「500円ぽっちならいつでも貸してやるよ」……と思いがちですが、お金の貸し借りは一切やめておきましょう。

金額の大小や、返済の約束ができるか否かは問題ではなく、そもそも“お付き合いしている相手にお金を借りようとする”、“結婚しているわけでもないのにお金のやりとりが発生している”ということに問題があります。相手の方がよほどお金にルーズなのか、お金に対する観念がユルいのかはわかりませんが、小額であっても(むしろ小額であればこそ!)貸さないよう気をつけましょう。

借金を断ったことで、その人が自分から離れていくなら「どーぞどーぞ」の構えでいてください。お金を出すことで繋ぎ留める関係性において、あなたの役割は“いいカモ”です。借金の願い入れを断ったとしても大丈夫。相手は死んだりなぞ致しません。捨て台詞を残して他のカモを探しにいくことでしょう。こういう人にお金を貸してあげるカモはいくらでもいるので(残念なことですが…)あなたが貸さなくても問題無しです。安心してお別れしてあげましょう。


・女性はデート代を全額支払わない。

「お金がないからディズニーランドは無理」と言われたら「じゃあ私が出すから一緒に行こう」と言ってはいけません。「だったら展望台にでも行こうか? あそこは無料だし」とデートの場所を変えましょう。そももそ常に「お金が無い」と言っている相手とは別れることをオススメします。相手はお金がないのではなく、“あなたと過ごす時間に払うお金は無い”と言っているのです。そうではなく、本当にお金がないのだとしたら、その理由を説明してもらって下さい。借金があるなどの理由であれば、デートコースはお金のかからない場所にするなど、お付き合いを工夫することもできるでしょう。お金がなくても、相手が誠実な良い人であれば、楽しく過ごすことは可能です。相手が「ファーストフードは嫌だ。焼肉がいい」などと言ってきたら「私は焼肉でもいいけど、お金あるの?(お前の分は払わないけど?)」と確認してください。難色を示すようであれは、相手はクズの要素が高いです。

もしも相手が「財布を忘れた」のであれば、一回だけはそれを信じて支払い、二度目に「また財布を忘れた」のであれば、その日のデートは中止して日程を改めましょう。人間そうそう財布を忘れることはありませんし、一度相手に迷惑をかけたのであれば「二度と財布を忘れない!」として注意深くなるもの。それでもちょくちょく財布を忘れてしまうのであれば、別の魂胆があるか、ないしはADHDの疑いがあります。後者でしたら手厚いサポートを、前者でしたら三行半みくだりはんを突きつけましょう。


・しょっちゅう世話を焼かない

他人に尽くすことで喜びを得るタイプの人は、お付き合いの段階から飛ばしすぎてしまう傾向がありますが、それは結婚後にも“相手のお世話をするのが当然である”という風に自ら仕向けているようなもの。お料理やお弁当をしょっちゅう作ってあげたりするのは、一見よいことのように思えますが、結婚後にそれが何十年も続くことを想定しているでしょうか? 相手に毎日ごはんを作ってあげるのは“当然のこと”ではありません。にもかかわらず、お付き合いの段階で“それが当然のこと”であるかのように相手を躾てしまうのは得手ではないでしょう。
お弁当作りの他は、掃除洗濯などの家事をやってあげる、本人が作成するべき書類を代わりに書いてあげる、相手の仕事をタダあるいは激安で手伝ってあげる、といったことも含まれます。相手は子供ではありません。腕を骨折して物が持てないなどのやむおえない事情がある場合を除いて、本人がやるべきことは、本人にやらせてあげましょう。



普通の人であれば、相手から必要以上にお金を出してもらったり、お金を貸してもらったり、しょっちゅう世話を焼いてもらうことに、心苦しさを感じるもの。自分に置き換えて考えてみればわかると思いますが、平気な顔をして恩恵にあずかっている場合ではありません。相手が元からダラシのない人であれば仕方ありませんが、そういう人間に成るような教育を相手に施してしまわないためにも、お付き合いの間だけは、上記の四原則を守っていきたいところです。(結婚後はさにあらず)

幸せになり得る関係性を歪めてしまうような甘やかしは、ゆっくりと効いてくる毒のようなもの。誰にとってもよい結果になりません。
もしどうしても相手を甘やかしてしまうというのであれば、実はそれは自分を甘やかしているのではないかと疑ってみましょう。自分で決めたことに一貫性を持たせられず、機嫌や気分でルールを破ったり変更しまくるのでは、相手も混乱してしまいます。
それを守るのは難しいことですが、そこをきちんとしてさえいれば、自分の周辺はスッキリします。努力する価値はこれ以上ないほどにありまくりです。


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今回は“下衆い人についての話になってしまったので、せめて写真だけでも美しく……。ここは某デパートの屋上です。夕暮れ時は特に美しく、お気に入りのスポットです。



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 ここはとある果樹園。

 立て看板には『果実を得た方からご退出ください』と書かれています。


 早々に果実を手に入れて出ていく者もあれば、ゆっくりと実を吟味している人もいます。

一度は出ていったけれど、また戻ってくる人。果実そっちのけでおしゃべりに興じている人。

 いろいろな人がいるようです。


 ある人は「果実はそのうち手に入るでしょう」と思い、周囲の人たちと楽しく過ごしていました。

 しかし仲間がひとりずつ出ていくので、徐々に焦る気持ちが出てきたのです。

「近くにいた人たちはみんな出て行ってしまった。それなのに自分はまだここにいる。いつまでここにいたらいいのだろう」


 見回すと、ある人は木に登って果実をもいでいました。登ってみたら果実が取り放題だということがわかり、「なんで今まで登らなかったのか」と驚いているようです。

 また別の人は木にハシゴをかけています。ハシゴの上から、腐っている果実をどんどん投げ投げ捨て、最終的には良い実を見つけたようです。

 向こうの人は果樹園の人にお金を払って、良さそうな果実を取ってもらっていました。


「そうか、いろいろな方法があるんだな」

 納得して動き出そうとしたそのとき、声が聞こえました。

「木に登るなんてはしたない、格好悪いことだ」

 驚いてそちらを見ると、あぐらをかいて座っている人が目に入りました。

その人は「ああまでして果実が欲しいなんて、よほどつまらない人生なんだろうね」と皮肉に笑い「自分はあんなことはしない。自然に任せているし、運命を信じてもいる」と言いました。


 それを聞き、「自然に任せているってどういうことですか?」と訊ねると、その人は「果実は自然に落ちてくるでしょう」と応えます。

 なるほど、確かにその人の周りには果実が落ちた形跡があります。しかし拾われた果実はひとつもないようでした。

 そうするうち、またひとつ、ぽとりと果実が落ちました。

「あ、ほら、落ちましたよ」と声をかけると、その人は「これは運命の果実ではない」と言いました。


 運命の果実とは何なのかと訊こうとしたとき、むこうの方から「痛っ!」という叫び声がしました。声の方を見ると、木の下で丸まって顔を歪めている人がいるではありませんか。

 あぐらをかいている人は「ほうら、言ったこっちゃない」と膝を叩きます。「木になんか登るから落っこちる。こうゆって大人しく座っていれば怪我なんかしないものを。木から落ちる人は毎年たくさんいるんだ」そして「だから登らない方がいいんだよ」と結論づけました。


 そうかもしれません。でもここにいるだけでは退屈です。

 少し移動してみると、また別な人と出会いました。その人は果実を手にしていますが、なぜか座ったままです。

「果実があるのになぜ果樹園を出ていかないのですか?」

 するとその人は「これは私の果実ではないから」と言いました。

「あなたが持っているのだから、あなたの果実なのでは?」

「いいえ、この果実は持ち主がいます。私はこれをときどき触らせてもらっているだけなのです」

 その人はそう言って、果実を大事そうに撫でました。その表情はとても寂しげです。

「私はまだマシな方。向こうの人をごらんなさい」

 言われた方を見ると、そこには果実を手にした人がいました。それはどう見ても腐っています。

 そっと近づき「それ……腐ってますよね?」と確認すると、その人は「知ってます」と言いました。

「腐っているのはわかっているけど、長く握っているうち、捨てることができなくなってしまったんだ」

 あまりに腐臭が強いので、この人の近くには長くいることができません。よい人そうなのに、周囲に人がいないのはそのせいでしょう。

 さっきの人のところに戻ると「腐った実を手放そうとしない人は他にもいるの」と言いました。「長いこと木の下にいると、それが虫食いだったり腐っていたりしても、手に入っただけで嬉しくなってしまうから。愛着も出てくるし、手放せなくなる。そうして、いつしかこう思うようになる……“自分が得られるのはこの程度の実だ”って……」


 ここは果樹園で、木には新鮮な果実がたわわに実っています。食べるに値しない実を選ぶ理由は、いくら考えてもわかりません。そこで、いろいろな人に意見を聞いてみることにしました。

「あなたはなぜ実を取りに行かないのですか?」

 その答えは人によってさまざまです。

「特に意味はないけど、長いこと座っていたので、なんとなく動くのがかったるいんだ。え? 果樹園の人に頼めばいいって? そこにお金をかけるのはいくらなんでも馬鹿らしいよ」

「ハシゴをかける根性はすごいけど、自分にはとてもできそうにないし、そもそもやりたくないね……」

「人がもいでいったやつはおいしそうに見えるけど、まだ木に残っているのはうらなりに決まってるから」

「そりゃあ、落ちてくる実より、自分で木に登って選んだ方が早いし、好みの実を見つけられるのはわかってるよ。でも木から落ちるのが怖いんだ」

 最後の言葉には共感するところがありました。木から落ちるのはやっぱりとても怖いのです。

 きっと木に登っている人は、自分とは違う生き物なのでしょう。この世には“木に登れる人種”と“そうでない人種”に分かれているに違いありません。そう思うと、なにもかもが絶望的に思えました。自分は木には登れない。ダメな人間なのだ。

 そうしてしばらくは落ち込みましたが、これからもずっと果樹園にひとりでいる決意を固めると、少し気が楽になってくるのを感じました。

「まあ、いいや。実を取るだけが人生でなし。ここでひとりでいる選択をするのもいいことだ」

 そうしてぶらぶらと果樹園を歩いていると、木に登っている人に出会いました。

「あのー、大丈夫ですか?」そんな風に声をかけたのは、その人が若くはなく、自分と同じくらいの年齢に見えたから。若者ならばいざ知らず、こんなに年がいってから木に登るなんて……。

 木の上から「あー、へいきへいき」と返事がありました。それは間伸びした呑気な口調です。

「平気ならいいんですが……あの……木から落ちるのは怖くないのですか? 木登り得意なんですね?」

 その人はこちらに顔を向けて「そりゃ怖いけど」と前置きし、「でも登らないと何も起きない」と言いました。その顔はやっぱり同世代のようです。

「ほら見て。そこにある実がよさげだなって思っているんだ」その人が指し示す葉の影には、小ぶりだけどしっかりと熟した実が成っています。

 その人は言いました。「木登りは得意じゃないよ。でも以前に木から落ちたことがあるから、気をつけて登るようになったんだ」

「えっ! 落ちたんですか!」

「うん、そのときは痛かったけど、でも大したことじゃない。みんな一度や二度は落ちてる。よくあることだ」

 木に登ったこともなければ落ちたこともない者にとって、それは想像を絶するような話です。その人はこちらの思いを見抜いたかのように「まあ、落ちても死ぬわけじゃないし」と笑って言いました。「木に登っている人たちは、初めのうちこそおっかなびっくりだけど、しばらくするうちスイスイ登れるようになるんだよ。自分もそうだった。若い頃は無鉄砲に登っては落ちたものだけど、今はもっと落ち着いているから、しっかり枝を掴んでいるし、折れそうな枝は掴まないとか、わかってきたこともある。他の人の木登りを参考にしたり、いろいろやりようがあるもんだよ」


 それは本当でしょうか? “木に登れる人種”と“そうでない人種”がいるのでは? 

 その考えを正直に伝えると、その人は「そんな人種があるとは知らなかった」と笑い、「自分に言わせれば、“木に登る人種”と“登ろうとしない人種”があるってイメージかなあ」と言いました。だとすると、この人は、“木から落ちてもまた登る人種”なのでしょう。


 考えながら歩いていると、「あら? あなたもしかして……以前、隣に座っていた人じゃない?」と声をかけられました。それはずいぶん昔に実を手に入れて出て行った隣人です。

「久しぶりね。私また戻ってきたの。今度こそ良い実を手に入れるつもりよ」

 出戻ってきたにもかかわらず、その人は妙にサッパリとした笑顔で言いました。

「そうだ、今ひとつ実を持っているんだけど、これどうかしら? 悪い実じゃないんだけど、私の好みじゃなくて……よかったらもらってくれない?」

 特に何も考えずに手を伸ばそうとしたのは、元隣人の笑顔がまぶしかったから。実に手が触れそうになったその瞬間「おい! よせ!」と怒鳴るような声がしました。

 びっくりして手を引っ込めると、木の下に座っている人が「やめておけ!」とこちらに向かって叫んでいます。「考えなしに実を貰ったらダメだ! その実がおまえにとっての良い果実である保証はないだろう! 自分はそうやって失敗してきた奴を何人も見てきているんだ!」

 それを塩に、あたりから一斉に声がします。

「そうそう! だいたい人から貰った実なんてロクなもんじゃないからね!」

「やめておけば? 自然に落ちてきたものにこそ価値があるでしょ? そもそも人に聞かれたらどう説明するの? “自然に落ちてきた”じゃなくて、“人から貰いました”って言うわけ?」

「あんた、ずっとひとりでうまくやっていんだろう。今さら実なんて持たなくていい。きっと後悔するよ」

「あーあ、せっかくいい感じだったのに、進んで苦労を背負い込むのか。お気の毒さま」

「ねえ? だいたいあなた、“果樹園にいるだけでも幸せだ”って言ってたんじゃない?」


 そうだった。これからもずっと果樹園にひとりでようと決めたのではなかったか。

 戸惑っていると、元隣人はそれを拒否と取ったか「急に変なこと言ってごめんね」と謝ってきました。「実を取るだけが人生じゃないし、ここでひとりでいる選択をするのも素敵なことだよね」

 それはかつて自分が思ったことでした。心に誓った真実の言葉であるはずなのに、今はなんだか空々しく聞こえます。

「それじゃ…」元隣人が踵を返したそのとき、なんとも言えない感情がお腹の底から湧き上がってきました。「ちょっと待って!」思いがけず出た声はとても大きく、元隣人は目を丸くしています。

「あの、それ……ちょっと待って……急だったからすぐ返事できなくて…その……」

 すると元隣人はくすりと笑い、果実をポンと手渡します。

「じゃあ、またね」

「あ、うん……」

 “ありがとう”と言うのも忘れ、手にした果実を見つめていると、通りがかりの人が「出口はあっちだよ」と教えてくれました。

 外に出て、この先、何かいいことがあるでしょうか? 今よりもっと良くなる保証はありません。

「そういえば、実の取り方ばっかり考えていて、その先のことはぜんぜん気にしてなかったなあ……」

 初めて手にした実はずっしりと重く、なんだか良い香りがします。それを見ているうち、なんだか平和な気持ちになってきました。先のことはわかりませんが、きっとなんとかなるでしょう。多くの人がここから出ていったのですから、自分もきっと大丈夫。良くなる保証はありませんが、悪くなる保証もないのです。

 新しい実を伴って出口を目指す。それは生まれて初めて感じる、意気揚々とした気分でした。



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この自由な果樹園で「果実を取るといいよ!取り方はいろいろあってね……!」と余計なお世話をがなり立てているのが私です。いろんな人がいるものですね。

もっとスッキリと短くまとめるつもりだったのですが、私は“おはなし”を書くとどうしても長くなってしまう癖があるのです。「長く書くのは誰でもできる。短くまとめることこそが難しい」と言ったのは私のかつての上司(鬼の編集長)ですが、文章を書く都度、その教えを噛み締めます。



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前回の続きです。


相手の方から、「もう少し様子を見てもらうわけにはいきませんか?」とお願いされた場合。

断られているにもかかわらず、様子見を申し出るという相手の勇気は素晴らしいのですが、様子を見たところで結論は変わることはなく、むしろ「やっぱり私が感じた違和感は間違いなかった」という確信を強める時間になるでしょう。

あなたが相手に感じた“違和感”は、相手の性格の根深いところから発しています。

だからこそ“違和感”という、うまく言い表せない感覚として感じられるのです。

そのような根の深いものが「もう少し様子を見る」というわずかな時間で、相手から綺麗サッパリ消えるわけがありません。

「相手に時間を与えてあげた」という満足感は得られるかもしれませんが、人生の貴重な時間を“いずれ別れるべき相手”に費やしてしまうのは非常にもったいないことではないでしょうか。その時間でもっと素敵な人と出会う機会がいくらでも作れたであろうことを想像してみれば、“もう少し様子を見る”というのは却下の一途であることがおわかりになるでしょう。

相手からの「もう少し様子を見てほしい」という真摯な願いに心から感動したがために、違和感のある相手と結婚して、その違和感を生涯のものとしてしまうケースは少なくありません。

自分から「もう少し様子を見よう」と思ったのではなく、相手から「もう少し様子を見て」と請われた場合、それを承諾するのはできれば避けてほしいです。もしそうするのであれば、時間を無駄にする覚悟と、これからさらに不快な思いをする可能性に同意したつもりで挑みましょう。


相手の方から、「悪いところがあったら直します」と言われた場合。

そんな風に言ってくる人がいたら、それはとても良い人なのだと思います。しかしながら、相手が心からの誠意を込めて「悪いところがあったら直そう」と考えたとしても、やはり短期間で“直す”ことはできません。その人はあなたと別れたくないがために「悪いところがあったら直します」と言っているわけですが、それがどれくらい困難なことか理解していないのです。

お相手の方は「そこはきみのために努力できるよ」と言うかもしれませんが、言うは易しです。“誰かと付き合うために”自分を変えようとするのはとても難しいこと。その人が誠実に取り組めば取り組むほど、お互いが苦しむことになるでしょう。

そうなるよりも、その方は“自分に不愉快な違和感を感じることなく、すんなり受け入れてくる別な人”とお付き合いした方が、遥かに良いのではないでしょうか。

「悪いところがあったら直します」と言っているうちはまだいいのですが、相手のために努力し続けることが理不尽に思え「やっぱり自分は悪くないんじゃないか? そっちの感じ方の問題では?」となったとき、これまでの努力が怒りに転じる確率はとても高いです。

「やっぱり自分は悪くないんじゃないか? そっちの感じ方の問題では?」←これはまったくもってその通りで、だからこそ「別れましょう」とこちらから告げたわけですが、それを「悪いところがあったら直します」と引き止めたのは、今や逆ギレしている本人である……ということが起きないためにも「悪いところがあったら直します」と引き止められたら「あなたには悪いところなんてないし、こちらの感じ方の問題でしかないので、本当にどうかお気になさらず」と告げるか、余計なことは言わず「本人都合」としておきましょう。


爪を噛む、貧乏ゆすりをする、などの「ちょっと本気になって頑張れば直せる」程度の癖でしたら、お互いが協力し合うことで、充分やり直せるでしょう。

しかし“相手の性格の深い部分から生じるとおぼしき違和感”というのは、もはや“その人自身(の個性)”です。

もしあなたが誰かと別れたくないがためにすることが『相手にお願いして、少し様子を見てもらうための猶予を頂き、なぜ自分から離れようと判断したのか、その理由を聞かせてもらい、それがいかなるものであっても“自分の直すべきところ”だとして、相手のために直そうと努力し続ける』としたらどうでしょう?

それは苦痛に満ちた時間であるばかりか、人間関係としては“いびつ”であると感じるのではないでしょうか。

このように、どちらか片方が懇願して別れを回避した場合、懇願された方が相手をジャッジする側に立ってしまいがちで、バランスの悪さを引きずっていることがあります。

もちろん全員がその限りではありませんし、それを乗り越えてうまくいっているカップルもたくさんいるでしょう。ただ、本ブログの趣旨としては、“最短で幸福になる”ことを推奨しているため、「違和感があったらその相手から離れましょう」とアドバイスしています。

「そんなアドバイスなんか知るかっ! 私は完全に自分の判断でこの人とやり直す覚悟だっ!」

……という思いが沸き上がってきたのだとしたら、それもまた“正しい感覚”です。あなたやお相手のことを1ミリも知らないブロガーの言葉が、あなたの思いや決意よりも勝ることは絶対にありません。

「あなたの幸せのために言ってるんだ」という他人の理論的な言葉よりも強い感情が出てきたらしめたもの。それこそが“違和感”の逆をいくものです。思うままに突き進みましょう。もし玉砕したとしても「やるだけのことはやった」と納得できることでしょう。


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イルミネーションは冬の方がきれいに見える気がするのですが、それには科学的根拠があって、冬の乾燥した空気が景色をクリアにみせるためなのだそう。しかし私はそれよりも、冬という季節がロマンティックさを掻き立てるからではないか…と睨んでいます。ええ、そうです、理系ではなく文系なのです。



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